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没後50年 東洋学園創立者 宇田尚 -自彊不息の生涯-
https://togaku.repo.nii.ac.jp/records/860
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Item type | 図書 / Book(1) | |||||||||||
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公開日 | 2023-02-13 | |||||||||||
タイトル | ||||||||||||
タイトル | 没後50年 東洋学園創立者 宇田尚 -自彊不息の生涯- | |||||||||||
言語 | ja | |||||||||||
言語 | ||||||||||||
言語 | jpn | |||||||||||
アクセス権 | ||||||||||||
アクセス権 | metadata only access | |||||||||||
著者 |
永藤, 欣久
× 永藤, 欣久
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抄録 | ||||||||||||
内容記述タイプ | Abstract | |||||||||||
内容記述 | 宇田尚(1881~1968)は教育家であるとともに企業経営、斯文会(湯島聖堂)、北京臨時政府教育部など多方面で活動した。旧歯科医師法に基づく1926(大正15)年11月4日の文部大臣指定が東洋学園の創立であるが、それ以前に前身校が9年存在した。このような経緯上、生前に創立者を自称したことのない宇田尚がなぜ、「創立者」たり得たのか。戦後、理事長・学長を務めた長女の馬渡房によれば、宇田尚の生涯とは不屈の精神で難事を克服し続けた、建学の精神「自彊息まず」そのものだった。不遇とも言える境地から這い上がってきた宇田尚は、旧制第一高等学校倫理学教授の実父宇田廉平が唱えた儒教的武士道に基づく実践躬行の精神を継承し、「科学教育を女性に施すに徳操の練磨を基」とする方針で臨み、それが昭和戦前・戦中期の社会に歓迎された。紛争が続いた前身校の校風を刷新し、宇田校長の東洋女子歯科医学専門学校は組織的統制と家庭的暖かさを兼ね備え、立地の良さも活かして先行競合校を圧倒し、経営的成功を収めた。敗戦によって宇田尚が拠った思想と国家観は否定され、事業も全て灰燼に帰したが、教育事業は宇田愛夫人、馬渡一得・房夫妻、愛知揆一・富(次女)夫妻ら後継者が新制東洋女子短期大学英語科として再興し、その過程で宇田尚は次第に創立者として位置づけられ、没後確定したのである。 | |||||||||||
言語 | ja | |||||||||||
内容記述 | ||||||||||||
内容記述タイプ | Other | |||||||||||
内容記述 | 東洋学園史料室2017年度後期特集 東洋学園創立90周年・前身校開校100周年記念シリーズ5(終)(2017年12月11日~2018年5月5日)解説 | |||||||||||
出版者 | ||||||||||||
出版者 | 東洋学園史料室 | |||||||||||
言語 | ja | |||||||||||
出版年月日 | ||||||||||||
日付 | 2017-12-11 | |||||||||||
日付タイプ | Issued | |||||||||||
著者版フラグ | ||||||||||||
出版タイプ | VoR |