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東洋女子短期大学の誕生 : 第二の創立者 宇田愛とブラックマー・ホーム
https://togaku.repo.nii.ac.jp/records/851
https://togaku.repo.nii.ac.jp/records/851c91356a0-fce2-4d89-ab2f-e656c704814d
Item type | 図書 / Book(1) | |||||||||||
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公開日 | 2023-02-13 | |||||||||||
タイトル | ||||||||||||
タイトル | 東洋女子短期大学の誕生 : 第二の創立者 宇田愛とブラックマー・ホーム | |||||||||||
言語 | ja | |||||||||||
言語 | ||||||||||||
言語 | jpn | |||||||||||
アクセス権 | ||||||||||||
アクセス権 | metadata only access | |||||||||||
著者 |
永藤, 欣久
× 永藤, 欣久
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抄録 | ||||||||||||
内容記述タイプ | Abstract | |||||||||||
内容記述 | 本学は1950(昭和25)年に旧制東洋女子歯科医学専門学校から新制東洋女子短期大学英語科に転換した。歯科教育から語学教育へ、広義には理系から文系へ、その間には深い断絶が横たわっている。時間の経過とともに旧制期の記憶は失われ、こうなった経緯不明の状態が長く続いた。人文社会科学系東洋学園の存在理由、それを知るには理系時代と戦後の混乱期に何があったか解き明かさねばならない。文系転換を指導したのは敗戦直後の1946年に理事長となった宇田愛(1883~1982)である。公人として極めて寡黙であり、為したこと、考えたことの痕跡を一切残さなかった。本学と遺族に残された僅かな資料、口承にキリスト者だった彼女が所属した教会側の資料を突き合せた結果、新制短大の構想、設置に従前の理解を越える信仰の影響を読み取ることができた。宇田愛は千葉県朝夷郡岩糸村生まれ、女子高等師範学校付属高等女学校を卒業し同仁キリスト教会に入信、1908(明治41)年に日本女子大学校英文学部本科を卒業した。教会女子寮ブラックマー・ホームと自身が名づけた同仁美登里幼稚園の運営に携わり、1908年に宇田尚と結婚、敗戦に伴う夫の公職追放後、1975年まで理事長職を務めた。 | |||||||||||
言語 | ja | |||||||||||
内容記述 | ||||||||||||
内容記述タイプ | Other | |||||||||||
内容記述 | 東洋学園史料室 展示と冊子によるミニ企画展(2011年5月9日公開)解説 | |||||||||||
出版者 | ||||||||||||
出版者 | 東洋学園史料室 | |||||||||||
言語 | ja | |||||||||||
出版年月日 | ||||||||||||
日付 | 2011-04 | |||||||||||
日付タイプ | Issued | |||||||||||
著者版フラグ | ||||||||||||
出版タイプ | VoR |