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東洋女子歯科医専(旧制東洋女子歯科医学専門学校)の外国人留学生
https://togaku.repo.nii.ac.jp/records/858
https://togaku.repo.nii.ac.jp/records/858f106bcef-e536-462d-966d-a75d12177f0d
Item type | 図書 / Book(1) | |||||||||||
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公開日 | 2023-02-13 | |||||||||||
タイトル | ||||||||||||
タイトル | 東洋女子歯科医専(旧制東洋女子歯科医学専門学校)の外国人留学生 | |||||||||||
言語 | ja | |||||||||||
言語 | ||||||||||||
言語 | jpn | |||||||||||
アクセス権 | ||||||||||||
アクセス権 | metadata only access | |||||||||||
著者 |
永藤, 欣久
× 永藤, 欣久
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抄録 | ||||||||||||
内容記述タイプ | Abstract | |||||||||||
内容記述 | 19世紀後半にアジアでいち早く近代国家へと舵を切った日本は周辺諸国・地域の人々が西洋文明を学ぶための安価な留学先となった。外地(植民地)出身者を含む外国人留学生の受け入れについて、官立校では1901(明治34)年に文部省直轄学校外国人特別入学規定(省令)で聴講生としての受け入れを規定し、1921(大正10)年の次官通牒で正科生の資格を認めた。東洋女子歯科医学専門学校が外国人入学規定を定めたのは1920年4月、明華女子歯科医学校と称する各種学校の段階で、初の留学生は専門学校昇格後の1924年に卒業した台湾出身2名(入学推定1921年)である。以後1947(昭和22)年までに卒業した留学生は中華民国8、満州国20、朝鮮21、台湾75、タイ9、不明(概ね台湾か)7、計140名で全卒業生約2,800名の5%を占め,最大の台湾は資格に直結した実学志向が窺われる。留学生のピークは1935~37年入学者の各23・27・22%、卒業時1939~41年に各14・13・15%である。1934年の校友会誌は基隆及び台中で開業した台湾出身29年卒2名を,35年には北京で開業した朝鮮出身26年卒1名をグラフページで取り上げ、その活躍を報じるなど、留学生受け入れに積極的な姿勢が窺える。国内のみで入学定員を満たすのは戦時体制が強まる1940年以降となる。 | |||||||||||
言語 | ja | |||||||||||
内容記述 | ||||||||||||
内容記述タイプ | Other | |||||||||||
内容記述 | 東洋学園史料室2016年度後期特集 東洋学園創立90周年・前身校開校100周年記念シリーズ3「波濤を越えて 東洋女子歯科医学専門学校の外国人留学生」(2016年12月19日~2017年5月12日)解説 | |||||||||||
出版者 | ||||||||||||
出版者 | 東洋学園史料室 | |||||||||||
言語 | ja | |||||||||||
出版年月日 | ||||||||||||
日付 | 2016-12-19 | |||||||||||
日付タイプ | Issued | |||||||||||
著者版フラグ | ||||||||||||
出版タイプ | VoR |