ログイン
言語:

WEKO3

  • トップ
  • ランキング
To

Field does not validate



インデックスリンク

インデックスツリー

  • RootNode

メールアドレスを入力してください。

WEKO

One fine body…

WEKO

One fine body…

アイテム

  1. 学内刊行物
  2. 東洋学園史料室 企画展示解説

習志野原の東洋学園 1946~1950 "東洋医科歯科大学津田沼キャンパス"の理想

https://togaku.repo.nii.ac.jp/records/852
https://togaku.repo.nii.ac.jp/records/852
bc94f1f2-8d02-4b01-a244-032a3781de3e
Item type 図書 / Book(1)
公開日 2023-02-13
タイトル
タイトル 習志野原の東洋学園 1946~1950 "東洋医科歯科大学津田沼キャンパス"の理想
言語 ja
言語
言語 jpn
アクセス権
アクセス権 metadata only access
著者 永藤, 欣久

× 永藤, 欣久

ja 永藤, 欣久

ja-Kana ナガトウ, ヨシヒサ

en Nagato, Yoshihisa

Search repository

×

Search repository
抄録
内容記述タイプ Abstract
内容記述 2012年度「最後の旧制高校 東洋高等学校」の対として、新制大学設置の夢と挫折の舞台となった津田沼校舎を女子歯科医専の側から紹介する。戦禍に遭った旧制東洋女子歯科医学専門学校は1946(昭和21)年4月から1948年11月まで千葉県千葉郡津田沼町大久保の陸軍戦車第2連隊(創設当初は騎兵第1旅団騎兵第14連隊)旧駐屯地を校舎とした(東洋高校は1950年まで)。国の指導に基づく女子歯科医専への旧制高校(共学/理科乙類)の併設は、教養課程と専門課程を併せ持つ共学の新制大学を準備するためと考えられる。荒廃した兵舎に旧制2校の男女学生が共存する写真は実態として共学の新制歯科(医科)大学が存在したことを物語っている。しかし、結果は再建した本郷校舎における小さな語学の短期大学であり、それが当時の本学の限界だった。この痛切な戦争体験が新生東洋学園の原点となり、教養教育に適した郊外キャンパスは新制短大開学から17年後の1967年に開設した流山校舎で実現した。習志野は大学としてのありようを学ぶ場でもあったのである。
言語 ja
内容記述
内容記述タイプ Other
内容記述 東洋学園史料室 特集(ミニ企画展)(2013年5月20日~2014年3月28日)解説
出版者
出版者 東洋学園史料室
言語 ja
出版年月日
日付 2013-05-20
日付タイプ Issued
著者版フラグ
出版タイプ VoR
戻る
0
views
See details
Views

Versions

Ver.1 2023-05-18 10:28:48.916647
Show All versions

Share

Mendeley Twitter Facebook Print Addthis

Cite as

エクスポート

OAI-PMH
  • OAI-PMH JPCOAR 2.0
  • OAI-PMH JPCOAR 1.0
  • OAI-PMH DublinCore
  • OAI-PMH DDI
Other Formats
  • JSON
  • BIBTEX

Confirm


Powered by WEKO3


Powered by WEKO3