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  1. 学内刊行物
  2. 東洋学園大学紀要
  3. 第22号

暗い時代の文化交流 : 板東捕虜収容所の場合

https://togaku.repo.nii.ac.jp/records/186
https://togaku.repo.nii.ac.jp/records/186
2e17d298-ca97-4f6f-9073-eb170a4789d1
Item type 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1)
公開日 2019-07-19
タイトル
タイトル 暗い時代の文化交流 : 板東捕虜収容所の場合
言語 ja
タイトル
タイトル Cultural Changes in Difficult Times : The Case of the Prison Camp in Bando
言語 en
言語
言語 jpn
資源タイプ
資源タイプ識別子 http://purl.org/coar/resource_type/c_6501
資源タイプ departmental bulletin paper
アクセス権
アクセス権 metadata only access
著者 梅山, 香代子

× 梅山, 香代子

ja 梅山, 香代子

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Umeyama, Kayoko

× Umeyama, Kayoko

en Umeyama, Kayoko

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抄録
内容記述タイプ Abstract
内容記述 国家と国家が激しく対立している時代にもそれらの国家間で文化交流が行われる。近代以降,日本が参加した戦争において,敵国の捕虜を通じた文化交流が現在の日本文化の一部を形成している。
 日本において,捕虜は,自ら命を絶つ潔さを持たず,敵に命乞いをする惨めな存在であると見られてきた。太平洋戦争における敗北を経験し,捕虜虐待を厳しく罰する国際社会の規律を目の当たりにして,日本人は自国が行ったことの非人道性および自国の後進性を思い知らされた。
 第一次世界大戦で日本の捕虜となったドイツ人捕虜を収容していた徳島県の板東捕虜収容所について広く知られるようになったのは昭和35年であった。この収容所は,捕虜を人道的に扱い,建築技術,印刷技術,製パン術,食肉加工術,そして音楽など,ドイツの先進的文化に接して,それらを日本に取り入れた。捕虜たちは,終戦後その待遇に感謝して帰国し,収容所の様子を祖国に伝え続け,現在でも子孫たちにその気持が受け継がれている。
 このようなことがあったのは,所長が人格的に優れていたためであるとして,その生い立ちや意識を取り上げ,模範的日本人として称えることが現代の一般的風潮である。しかし,そのような見方は,国際法を重視して捕虜に正しく向き合っていた近代日本を見誤るものである。第一次世界大戦までの日本は,政府も軍部も国際法を守り,捕虜を人道的に扱い厚遇していたのである。この点を現在の日本人は,認識すべきである。
書誌情報 東洋学園大学紀要
Bulletin of Toyo Gakuen University

巻 22, p. 49-62, 発行日 2014-03-15
出版者
出版者 東洋学園大学
言語 ja
ISSN
収録物識別子タイプ ISSN
収録物識別子 0919-6110
書誌レコードID
収録物識別子タイプ NCID
収録物識別子 AN10421432
論文ID(NAID)
関連タイプ isIdenticalTo
識別子タイプ NAID
関連識別子 110009771508
著者版フラグ
出版タイプ VoR
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Ver.1 2023-05-18 10:38:04.004530
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